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11日5日(土)に、第32回JBF鳥学講座を開催しました。今回は、我孫子駅南口にあるアビ―ホールで実施しました。「江戸の鳥の美食学―環境破壊や乱獲がもたらした野鳥食文化の衰退」と題して、東京大学東洋文化研究所教授の菅 豊さんにお話しいただきました。オンラインではない対面での開催は2019年ぶりとなります。

菅さんは、日本と中国をフィールドに、民俗学の視点から、地域社会における自然資源や文化資源の利用や管理のあり方について研究されています。今回は、2021年に出版された「鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学」(講談社選書メチエ)の内容から、江戸における鳥食文化を中心にお話しいただきました。

日本の伝統的な食といえば刺身や寿司に代表される魚食の文化という印象がありますが、野生の鳥を食べる文化は、縄文時代から続いてきたことが、歴史資料や考古学的な調査からわかっています。特に、江戸時代にはその最盛期を迎え、社会的・政治的に重要な役割を担ったほか、大衆を含めた多くの人々に食べられていました。たとえば、江戸時代初期に著された「江戸料理物語」には、18種の野生の鳥の97以上のレシピが記述されています。
今回は、このような野鳥食文化を復活させようという主張ではなく、このような食文化がかつて社会や政治においてどのような役割を果たしていたのか、なぜ衰退してしまったのかについてご講演いただきました。

鷹狩りは、古代より天皇・貴族のたしなみとして行われており、中世からは武士の社会的な権威を示すための行事として行われてきました。江戸幕府を開いた徳川家康は、その重要性をよく理解しており、鷹狩りの獲物を贈答品として朝廷に献上したり、各地の大名に下賜したりして、政治的な道具として利用してきたそうです。江戸時代の江戸周辺には、将軍家やその分家である御三家が鷹狩りを行う「御拳場(おこぶしば)」や「御借場(おかりば)」があり、この鷹狩りの狩場を守るため、江戸周辺での狩猟や市中への野生の鳥の持ち込みは厳しく管理されていました。

第5代将軍徳川綱吉の時代になると、「生類憐みの令」によって鷹狩りや野生の鳥の取引は禁止されました。しかし、これは逆効果で、密猟が横行することによってかえって鳥の数が減る事態を招いたそうです。その後、徳川吉宗が第8代将軍の座に就くと、かつての鷹場の管理制度が復活し、鷹場の管理と流通の制限が復活しました。幕府に認められた10軒の鳥問屋が、野生の鳥の肉の取引を管理し、一般大衆の食卓にも野鳥の肉料理が上っていました。しかし、幕末期になると、江戸幕府が弱体化するとともに鷹狩りの分化は衰退し、1863年に行われたのを最後に、将軍家による鷹狩りは行われなくなってしまいました。

では、江戸時代にこれだけ栄えた野鳥食分化は、なぜ衰退したのでしょうか? 戦後導入された欧米の養鶏技術によってニワトリの肉の生産量が大きく伸びたこともその理由の一つですが、菅さんは、野生の鳥の数の減少が大きな理由だと指摘されています。開発による生息環境の破壊、明治以降普及して無秩序に行われた狩猟などが減少の原因といえるでしょう。食文化が衰退すると、それを守る人もいなくなるという負のスパイラルに陥り、野鳥の食文化は現在ではごく一部の地域にしか見られなくなってしまいました。このように、資源の適切な管理を怠ったために食文化が消滅の危機に瀕していることは、現代におけるウナギなどの魚にも同じことが言えるでしょう。古くからある一皿の料理を失わないために、野鳥食文化の衰退の歴史を教訓とする必要があるだろう、というお話で講演を締めくくられていました。

講演のあとには、国内の鳥食文化の地域差や、宗教と鳥猟の関係などについて来場者からの質問をいただき、菅さんにわかりやすくお答えいただきました。今回の鳥学講座は、118人の方にご参加いただきました。お話しいただいた菅さん、ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

今回の講演のレジュメは以下の山階鳥類研究所のウェブサイトに掲載されているリンクよりダウンロードできます。
https://www.yamashina.or.jp/hp/event/event.html#chogakukoza2022

今回のお話の内容が含まれる菅さんの著書
「鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学」
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000354725